このページではピュアライフ小城周辺の名所旧跡をご紹介します。
もちろんこちらでご紹介した名所はほんの一部です。小城にはまだまだ数多くの名物スポットがあります。是非一度実際に足を運んで散策されて見てはいかがでしょうか?
「桜の名所100選」(平成2年・日本さくらの会認定)の一つに数えられる小城公園は、小城を代表する名所であり、城下町・小城のシンボルともいえる庭園です。
その歴史は古く、初代小城藩主・鍋島元茂が当時、鯖岡(さばおか)と呼ばれた小丘に桜を植え、茶屋を設けたのが始まりとされています。
明暦2年(1656)、二代藩主・直能がこの地を桜岡と改称。さらに多くの桜を植樹し、西南部には池水庭園を造園して、自楽園と名付けました。また桜岡西北部には屋敷が設けられ、三代藩主・元武の時代から、小城藩邸として使用されるようになったのです。
桜岡の桜の名声は朝廷にもきこえ、直能の時代の延宝3年(1675)には、岡と花を詠み込んだ後西天皇の御製や公卿18人の和歌が贈られました。公園最頂部には、このときの御製の碑が建てられています。
現在、小城公園の桜の数は約三千本。毎年、春にはむかしと変わらぬ見事な花を咲かせ、地元の人々や遠方から訪れる行楽客の目を楽しませています。また桜の季節以外にも、梅やツツジ、藤などの花々が園内各所で咲き誇り、見どころはたっぷり。小城に着いたらまず最初に訪れたいのが、この公園といえるでしょう。
平成18年には「日本の歴史公園100選」にも選定されました。
「全国名水百選」(昭和60年・環境庁認定)の一つに選ばれた、清冽な水が流れる清水川。その上流に、西日本一の名瀑布といわれる清水の滝があります。
別名・玉簾(たますだれ)の滝。山の冷気を切り裂いて流れ落ちる水は、落差75m・幅13mの威容を誇り、舞い上がる飛沫が辺りの木々や岩肌を濡らすさまは、まさに壮観です。
滝のすぐ傍らに立つのが、清水山見瀧寺宝地院(きよみずざんけんりゅうじほうちいん)。
清水山見瀧寺宝地院は天台宗の寺院で由緒記によると延暦22年(803年)桓武天皇の勅(みことのり)を奉じて聖命上人が開基した国家鎮護の道場であり、のちに戦乱により坊中三百坊ばかりの一山はすべて焼亡したといわれています。
その後、小城藩初代藩主鍋島元茂は父である佐賀藩主鍋島勝茂を鹿狩に招き長流の滝を見つけました。
そこで鍋島勝茂は寛永4年(1627年)ここに武運長久と国家安康を祈り、観世音菩薩を勧請し、清水寺を再興しました。
滝つぼ前の「倉永節士清雄之碑」は、佐賀藩主鍋島宗教の大病平癒を祈願して厳冬の滝にうられて凍死した倉永清雄を祀ったもので、ここは観世音菩薩信仰と滝うけ行の霊場として有名です。
本堂前には、十一代藩主・鍋島直大がインドから取り寄せ、植えたと伝えられる沙羅双樹の木もあり、毎年夏になると可憐な白い花を咲かせています。
また、宝地院の門前に並ぶ店々の鯉料理は、よく知られた清水の名物。名水で身を清められた鯉のあらいの味は格別で、夏場などにはどの店も多くの客で賑わいます。
祇園川に架かる赤い手摺の橋の向こうに、急峻な山肌を登る石段があります。その頂上にある神社が、地元の人に“祇園さん”として親しまれる須賀神社です。
須賀神社はもともと、関東から下向した千葉胤貞が京都の祇園社(現・八坂神社)より分祀して創建した、小城祇園社がルーツ。明治期の廃仏毀釈により現在の名前に改称したという経緯があり、ここがいまも“祇園さん”と呼ばれるのはそのためです。
神社のある山は千葉城(別名・牛頭城)と呼ばれ、中世には千葉氏による居城が置かれていたところ。山上からは眼下に、祇園川や小城の家並みを一望に見渡すことができます。千葉氏の時代には、川に沿って東西に伸びる町があったと伝えられますが、戦乱により消滅。現在は江戸時代の寛永年間(1624〜 1643)になって作られた、上町・中町・下町の家並みが北から南へと続いています。
神社の周辺は桜やツツジの名所としても知られ、その中を天に昇るような153段の石段はまさに小城の名物といえそう。1989年製作の松竹映画「男はつらいよ・ぼくの伯父さん」では、ここがロケ地の一つになりました。
小城の初夏の風物詩といえば、まず思い浮かぶのが祇園川の源氏ボタル。漆黒の闇を縫って優雅に乱舞する光の群は、まさに自然が生み出す幻想的なショーといえるでしょう。数十万匹ともいわれる祇園川のホタルは、「ふるさといきものの里100選」(平成元年・環境庁自然保護局認定)の一つにも選定されたもの。美しい川の水と、ホタル復活に賭けた地元の人々の努力が、今日の成果を生みました。
「小城源氏ボタル保存会」が、ホタルの里作りを目指して設立されたのは、昭和59年のこと。以来、河川の浄化や幼虫の飼育・放流といった地道な活動を続けた結果、着実にホタルは増加。いまでは、日本一を目指すホタルの里になりました。
見ごろは5月下旬から6月上旬頃で、風の少ない蒸し暑い夜がお薦め。須賀神社から上流へ3km、清水川2kmの間で、約20日間の鑑賞ができます。ただし、源氏ボタルの光の明滅はオスとメスとの求愛行動なので、鑑賞する際はマナーを守り、彼らの邪魔をしないようにしたいものです。
小城羊羹は小城を代表する銘菓として、広く全国にその名を知られています。祇園川を挟んで須賀神社の向かい側に立つ羊羹資料館は、そんな羊羹のことがすべて分かるユニークな私設ミュージアムです(入館無料)。
この資料館は、隣接する老舗の羊羹店・村岡総本舗が開設しているもので、2階の展示室では、羊羹の製造道具や原料、歴史に関する資料などが展示されています。また、羊羹の製造工程を紹介するビデオも上映されており、甘党でない人も興味は尽きないはず。
資料館として開館したのは昭和59年。建物は昭和16年に建てられたという、歴史と異国情緒を感じさせるレンガ造りの洋館。もともとは砂糖蔵として設計されているため、防火・防湿性に優れ、資料館にはあつらえ向きの建物です。平成9年には、国の有形文化財にも登録されています。
その昔、砂糖が貴重品であったことが、このような建築物を生み、そして国の文化財となる原動力となったことは、羊羹文化を知る上で銘記すべきことでありましょう。そして、羊羹をひたすら愛好する地域の人々の熱い思いが、羊羹のふるさと小城にこのような大きな宝物を授けたのではないでしょうか。